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『谷締め』
4月4日、富良野塾が終った。

「谷は眠っていた」も、無事に全部終った。まずは、そのことに、感謝、安堵。よかった。
白T
以前、ハプニング、とだけ書いた今だから言えること。
3月25日、トーリョーオニツカがやぐらの3段目から落下していた。
一瞬の出来事だったし、今まで一度もなかったから、絶対落ちるわけがないとさえ思っていた本当にまさかのことだった。しかし、非情にも絶対なんてことはなく、やぐらの1番上で、右手を大きくふりかぶった瞬間、ふわりと後方にバランスを崩し、落ちた。いや、正確には、後ろに倒れてゆきそうになるのをジャンプして、3mの高さから飛び降りたのだ。そのまま背中から倒れるようにして落ちれば、頭から転落して、舞台に叩きつけられていたかもしれない。2段目や1段目の者らに当たっていたら、その衝撃で全ての者がバランスを崩し、崩壊して重なり合い、大惨事になっていたかもしれない。神懸かり的な身のこなしで両足からどすんと着地し、左足かかとの打撲のみの軽症だったのは、50歳を過ぎたトーリョーオニツカの日頃からの鍛錬あってのことだと思う。落ちたことは、災難だったけど、これ以上ないくらいベストな落ち方だった。けど本人は、落ちるちょんの間に自らのとった行動のことをあまり憶えていないとゆっていた。落ちて、駆けつけたのだけれど、ただただ引きつった顔で凝視、騒然とするばかりの周囲に対し、この時、トーリョーオニツカは、片足をひきながらも周りを気づかって、笑っていた。えええええ、笑ってんの?!、なんで?!、と、思いながらも、その表情に、こっちが我に帰ったことを憶えている。
この事態で、一時は、閉塾公演中止になりかけたのだけれど、打撲以外、骨にはなにも異常はなく、公演敢行となった。

3月29日、事故以来の通し稽古で、全員のものすごい緊張感の中、久しぶりにやぐらのてっぺんでガッツポーズをするトーリョーオニツカを見た時、いや、正確には、ガッツポーズを終え無事に舞台に降りたった瞬間、心の底から震えた。震えたし、役者だけじゃなく、それを見守る全ての者が、ひとつになったような気がした。

そんなことがあった。

事故がありながらも、最後の6つのステージのトーリョーオニツカのボクシングのシーンは、回を追うごとにキレのある動きに進化していた。もう2度と見れなくなる勇姿を目に焼き付けようと、食い入るように、DNAにしみ込ますように、市原悦子のように、毎回袖から凝視した。
「丸太は1度にゃ積めないんだ。1本1本皮向いて削って、組んで外して又調整して、一歩一歩の積み重ねなんだ。てっぺんには行きたいけど、途中は嫌いだ?そんなやつぁ消えてくれ、そんなやつぁいらない、オレは一人でいい」
特に最終日の動きは、身体能力のギリギリまで挑んでいるような動きで、まんまハングリーなボクサーの姿であった。忘れないでおこう、こりゃ忘れないだろうってことも忘れるだけに。

圭志も書いていたように、閉塾にはものすごいかずの人がどっさーと来ていて、一人一人気のすむまで話そうと思うと、とてもアレっぽっちの時間では足らず、ああ、あの人がいる、この人がいる、と懐かしい顔を喋ってる視界のはじでとらえることしか出来なくて、とにかくあっとゆう間だったけど、この様々な人間が様々な想いで迎えたこのごった煮のような会を、なんとか成功させようとずっと前から準備に走り回っていたウチの太田はじめ沢山の方々には、筆舌には尽くしがたい感謝と労いの気持ちでいっぱいだ。

塾長ヘビースモーキングクラモトの閉塾に寄せた最後のスピーチの中で、映画監督岡本喜八氏の書斎に張られていた外国の誰それの言葉に影響を受けて後から来る者らの為にそろそろ道をどこうかと考えていたけど閉塾間際になって考え直した、やっぱりぼくはどかないことにした、どいてほしければ乗り越えてゆけばいい、とゆうようなことを言っていて、そのとってもヘビースモーキングクラモトらしい、頑固親父的痛快発言に、ええええええええ、と最初ずっこけたけど、やっぱりそうでなきゃ、と頼もしさを感じたし、嬉しくなった。
OB
さて、思い返せば、どんどん出てきそうだけれど、これでひとまず、谷関係は、キリをつけようと思う。3月末に、ツアーから帰って来た時、多少以前の日記にコメントやら、加筆やら、追加画像やらしたので、暇があればまた読み返してみてはどうか。12月の稽古初めから、せこせこと書いて来て、当初は1日200アクセスくらいだったのが、今じゃ多い時は1000を越えてしまう程のアクセスをしてもらい、驚いている。劇中で、シナリオライターとして将来大成する石山とゆう役をやるうえで、その役作りに何かしら役立てばと、なるべく毎日書くことを自分に課してみたのだけど、結果書くことがとっても好きになったし、ネタ探しに周りにアンテナを張る習慣が少なからずついたのは役者的にもいいことだったと思う。これからもちこっとずつでもアップしてゆこうと思うので、末永くどうぞ。

駄文長文読んでいただきありがとうございました。

すいつ
| sweet | 『谷は眠っていた』 | comments(7) | trackbacks(0) |
ありがとう
こっちには書くまいと冷静をよそおっていましたが、六条先輩、納谷先輩の書き込みを見たら、もしかして最初で最後の全員集合があるやもしれぬと書きこんでしまいました。


倉本先生を始め、スタッフ、諸先輩方、同期の仲間、後輩たち、支えて下さった地域の皆様には、言葉では言い表わせないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。

閉塾パーティーの冒頭、プロジェクターに映し出された開塾当時の倉本先生。

若い。

角刈りに筋肉質の体。
丸太を運んだり、チェーンソーでノッチを削ったり。しかも、くわえタバコで。

メチャクチャかっこ良すぎです。

歓談の際、いつも応援して下さってる方が

「原点はあの谷の小さなスタジオ。
あそこでお客様を迎えて芝居をしていたことを忘れないでほしい。観に来ている人は応援している人に会いたいのだから送り出しはとても大切よ。」

身につまされる思いだった。思うところがあるので実行しよう。

六百人ぐらいいたので、酔いそうでしたが、出来る限りお世話になった方々を見つけてお礼を述べました。それでも全員に述べることは出来なかったのでこの場をお借りまして、

「応援して下さってありがとうごさいました。そして、これからも応援宜しくお願いします。」



本当はもっともっと先輩方や後輩とお話したかったのだけれど、なんか照れ臭くて、結局あまり話せなかった。
もっと積極的に動けば良かったのだが、

出来なかった。

あんな機会はもう二度とないので、それだけが相当心残りだ。。

挨拶だけはきちんとするように先生に教わったはずなのにな。

どうか先輩方、後輩の皆さん、そして同期のみんな、またいつかお会いしましょう。

だからそれまでどうぞお元気で。

本当にありがとうございました。  

    15期生 杉野圭志


「ありがとう−。

すてきな言葉です。

人に向かって素直に私、

ありがとうって言える

人になりたい」

−『走る』(97年)

大聰辞林より。


それにしても、未だにふくらはぎと足首がまだ痛い。
やっぱり「走る」はいきなりやるもんじゃない。

いきなりで思い出したけど、円山クラスで手に入る熊本名物
「いきなり団子」はとてもおいしい。
中からいきなり、イモとアンコが出て参ります。
| KC | 『谷は眠っていた』 | comments(5) | trackbacks(0) |
原点回帰…。
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富良野塾のサイロ棟。

私の劇人生はここから始まった。


八期生として21人がここに住んで塾生活を送った。

卒塾するとき八人いなくなっていた。


閉塾式。


同期は10人集まり今のそれぞれの人生を語りあった。


今、富良野を離れて三年。色んな思いから、富良野を離れた…。


閉塾式のため富良野に帰って色んな人から、「帰って来い」「富良野にいるべき…」などなど、言ったてくれる人が結構いた。

沢山の問題があるので直ぐに答えを出すのは差し控える。


閉塾式に参加して、やらねばならぬ気持ちになった。


倉本先生は、お会いするといつも優しい。

「恩返し」

どうやればいいのか?


5月芝居の稽古で富良野に帰る。


そのことをじっくり考えてみようと思う。

今、俺の出来ることは何か。(先生の受け売りでゴメン)


あえて「六条寿倖のブログ」ではなくこちらに書かせて貰った。


閉塾式に参加してちょっとテンション上がったから…。

富良野のみなさん悪しからず。


| | 『谷は眠っていた』 | comments(2) | trackbacks(0) |
終わりは始まり
当たり前だけれど、こう思わなきゃ、終わることの言い表しようのない気持ちの奥の部分を、次に向かわす方にもってけない、僕です。

富良野塾が終わりました。
ただ、それだけです。

終わっても、富良野塾で学んだことは死ぬまで僕の原点だし、20年近くやって来てソノ原点の教えを揺るがすような革新めいた演技論にも演技者にも出会っていないのだから、富良野で学んだことを僕が進化させていってやる!くらいの心意気は持ち合わせている。


いつまでも、終わったことへの感傷にふりまわされてるわけにはいかないので、次を考えています。

今年は、11☆9の本公演、もしかしたら、ないかも。
でもそうなったら、来年の3月に11☆9 vol.7「そんな感じも出来ひんわけじゃない」公演というのをやるつもりでいます。
これまでとは、違う、静かな、雰囲気系の、劇をやってみたいなと、おもったりして。
そして、8月に短編演劇祭に出ようとおもったりもしてます。

あと、宣伝用の映像なんかも出来たらエエなぁーと。


とにかく、11☆9は、まだまだ、進化します!!

納谷
| 納谷馬牛 | 『谷は眠っていた』 | comments(2) | trackbacks(0) |
『続・谷っ記 おわりのはじまり』
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すいつ
| sweet | 『谷は眠っていた』 | comments(5) | trackbacks(0) |
『続・谷っ記 暴動気味』
4/3は昼と夜とがあった。

昼の部は、翌日の閉塾&卒塾公演に入りきれないサポーターの皆さん向け(とにかく沢山のスペシャルサンクスなのだ)のスペシャル公演。

夜の部は、帰ってきた200名くらいのOB With身内向け。

して、その夜の部。
開場とともに客席に流れ込んできたOBの様子が、楽屋のモニター画面に映し出され、時間の経過と共に大きくなってゆく声が、スピーカーから聞こえてきていた。いつものお客さんとはまるで違うボルテージ、歓声、奇声、和気藹々(わきあいあい)っぷり。場内整理の者らの声もかき消され気味だった。

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修学旅行みたいだなあ、と、足取り軽くヘビースモーキングクラモトが楽屋に入ってきてゆった。嬉しそう。タバコに火をつけぷかり吸いながら、こうゆう客はやっててどうなの、とにたり顔で問う。やりにくいですね、即答の久保選手。手品のタネを最初から知ってる客みたいな感じです、とすいつ。

100403_1846~01.jpg
して、太田選手の前説がはじまると、拍手とか歓声とか合いの手が場内に充満。宴会みたいですね、と袖で待つ紺屋選手がポツリ。

開演。

笑い。拍手。ところどころ大ウケ。鼻水のすすり。

トーリョーオニツカの丸太小屋完成のガッツポーズに、鬼塚あああっ、と歌舞伎並の掛け声。

して、幕。

カーテンコール。
豪雨のような拍手、照明がつくと、物凄い掛け声と見たことのない総立ちの光景。全員ガスバーナーの火みたいに立っていた。ヘビースモーキングクラモトの登場で場内は最高潮。歓喜。興奮。怒号。礼儀正しい暴徒であった。


一夜明け。風と青空。春の陽気。今朝は早くから、OBらが大挙して塾地で記念植樹。

十年後。二十年後。建物らは森に埋もれてゆくのか。

すいつ
| sweet | 『谷は眠っていた』 | comments(4) | trackbacks(0) |
『続・谷っ記 二日間』
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ここは、あと二日間、チャンスがあるんですよ、上昇できるんですよ

と、ヘビースモーキングクラモトは、夕べの芝居後にゆった。

まだいける。
感傷に浸ってる暇はない。

寒が戻って、外は雪。

すいつ
| sweet | 『谷は眠っていた』 | comments(2) | trackbacks(0) |
閉塾三日前。
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左は電気スタンドです。
右が我らのドン太田竜介です。
 
 
3日後、富良野塾はその歴史に幕を閉じます。
彼は26年に一度の閉塾式に向けて今大忙しです。
 
 
 
"忙しい"なんて言葉で片付けてはいけません。
 
彼は閉塾式が無事に終わった瞬間、疲れと共に殉職するかもしれません。
 
 
 
それは何とか阻止したいものですが、とにかく、最後の「谷は眠っていた」を、「閉塾式」を、必ず成功させよう!!と強く思ったんであります。
 
エイ、エイ、オォー!!


りき

| riki | 『谷は眠っていた』 | comments(6) | trackbacks(0) |
高倉健さん
「高倉健さんがいらっしゃるので、白Tシャツとジーンズに着替えて正面玄関に来てください!」
昼公演を終え、次に続く夜公演の準備をしていた時に届いた倉本先生からの伝令!!!

慌てた女子楽屋。

急いでメイクを直し、髪をセットし、着替えた。
万が一でも健さんとハグをするようなことがあれば、汗くさいと申し訳ないので香水もつけ、玄関へ走った!

正面玄関外には、雨の中、既に倉本先生が傘を差し、健さんを待ち構えていらっしゃる!
数人のスタッフも警備棒を持ちバタバタ走っている!

私たちも遅ればせながら、玄関の内側に整列し、緊張と期待でドキドキしながら待っていた。


しばらくして、正面玄関の自動ドアが開き、外で待っていた先生とスタッフが入って来た!

最高の微笑みで健さんを待ち構えている私たちに倉本先生が一言。
「これでエイプリルフールを終わります。」


一瞬の沈黙の後、集まった全ての女子が崩れ落ちました。


やられたぁ〜!

りき
| riki | 『谷は眠っていた』 | comments(5) | trackbacks(0) |
『続・谷っ記 ぐわらぐわらぐわら』
タンカン.jpg
と、タンカンがやって来た。イエイ。ブラボー。遥か遠く、種子島公演でお世話様になった石堂一徳様(ゴルゴ13似)よりズキュンと届いたぜベイベ、アンビリィヴァボ。

ありがとうございました。

これより我々、最後の最後、ホントに最後、最後最後ってくどいっちうねん、の、通し稽古をやる直前に届いた南からの贈り物に、小躍り。感激。目をつぶればハイビスカス。そよぐ南風、ざわわサトウキビ。気持ちをいただいて、やる気まんまんで 通しに向かう。

粋だな、ゴルゴ。

すいつ
| sweet | 『谷は眠っていた』 | comments(3) | trackbacks(0) |