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『そばとけんかと白組優勝』
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富良野塾、最後の大晦日。

この日は、師の家にて、テレビなどみたり、お酒をたしなんだり、だらりだらりと過ごします。

まもなく、師の75回目の誕生日。

NHKの除夜の鐘中継が、染みます。

みなさん、よいお年を。

すいつほか一同
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『谷っ記 七色いんこ』



2009年の稽古の締めくくりは、富良野塾スタジオ棟での代役稽古だった。代役とゆうのは、突然廻ってくる。それはとてもスリルのあるポジションで、予め(←あらかじめ)代役として振られていたならいざ知らず、さすがに当日いきなり代わって演れとゆわれたら、それこそ、役者の頭角をあらわす絶好のチャンスではあるけれど、かなり、びびる。びびりながらも、チャンスをものにすれば、一躍脚光を浴びたり、次の役を貰えたり、するかもしれない。いつ声をかけられるかはわからないし、声をかけられないかもしれないし、準備していても徒労に終わるかもしれないけど、結果をだせば、大きな自信となり、転機にもなる。

転機とゆえば、あれが転機だったとゆえる代役がある。

幼稚園でやった、みにくいあひる役(のちに白鳥)だ。当初、あひるのこが、旅先で出会う3羽の雁(がん)の内の一人だったすいつが、本番当日、そのあひる役の子が熱を出して欠席した為、急遽その役に抜擢されてしまった。雁の茶色い羽根をつけて「がん〜がん〜がん〜〜〜♪」と唄いながら登場するよりも、卵から生まれてくる役をやりたいと、ひそかに思っていたので、園児すいつは、とにかく嬉しかった。あ、そういえば、こないだやったラジオドラマの役も、白鳥だったなあ。

それはそうと、代役といえば、手塚治虫さんの『七色いんこ』だ。

どんなに急であろうと、頼まれれば、老若男女、どんな役もやりこなすとゆう代役専門の役者、とゆうか、代役を引き受けたら必ずその会場で金品を盗む泥棒?の?話?で、それでいて、とっても骨のある漫画だった。文庫版で出たのを富良野で買いそろえたんだけど、貸した太田くんから帰って来ないのを今思い出した。

あ、また鳥つながり。

すいつ







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『谷っ記 仕事納め、ならず。』
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昨日、2009年の仕事は、29日の通し稽古(つまり、本番と同じような感じでやる稽古)で終わり、とゆう発表だったので、通し後、30日も稽古だとゆうスケジュールを聞かされたとき、場が、一瞬、宇宙のような(行ったことはないが)静寂になった。

なので、仕事納め、とはならず、ただ、演劇工場では今年最後だったし、工場の神棚の下には、「知らないうちに鏡餅〜♪」byユニコーン、で、ちょっと暗いけど一緒に写り込んでしまったのは、痩せてキレのある顔つきになった23期平野勇樹選手。

明日は、久しぶりの富良野塾にて、アンダースタディ(つまり、まさかの時の「代役」)の為の稽古で、正月明けには、代役達による通し稽古もあり、コレはコレで、祭りのような楽しみではある。

すいつ
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『谷っ記 デニーロ・アプロ−チ』
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かつて、映画「レイジング・ブル」で、ロバート・デ・ニーロが、実在したボクサーを演じた時、同じ映画内で27kgも劇太りして役作りをした、とゆうところらへんから、彼のようにとことんこだわって、肉体からも役を創りあげていく、とゆうか、創り変えるようなやり方を、デニーロ・アプローチとゆう。

そして、ここにも、デニーロ・アプロ−チの男がいる。

「ficution」、と、その若手らの「素のもの」所属、20期竹内裕介。
彼は、9月までやっていたficution公演「ディンドンガー」に出演時70kgあった体重を3月足らずで8kg落とし、現在は62kgだとゆう。
どうやったらそんなにやせられるのかは、一緒にいると何となくわかってくる。
彼はものすごく、汗かきだ。
稽古で、繰り返し同じ動きをしていると、彼のまわりだけ濡れているのだ。

さて、その体重差が、どれほど役に反映されているかは今のところまだわからないが、昨日、稽古で、名もない通行人の役を演じていたところ、演出上「君のは、新しく何かドラマが始まってしまいそうだから出ないでくれ」とか「君の顔は、特徴がありすぎる」とかゆわれ、主役を喰うほどの存在感を醸し出していた。

目が離せない人だ。
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『谷っ記 最後のリーダー』
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富良野塾の最後の年末が暮れてゆく。

ゆうべは、演劇工場での稽古のあと、用があって塾へ行き、ついでだったので、久しぶりに、頑張れば七人くらい入れる1m×1.5m位の湯ぶねのある塾風呂へ入った。

裸のつきあい、湯ぶねの広さ、すのこ、木の椅子、スタイロフォームの蓋、天井からのしずく、となりの女子の声、つい唄いたくなる懐かしくいとおしい空間。

ああ、富良野塾だな、と思う。

風呂からあがると、明日の、塾生全員の役割を調整する仕事を終えた、富良野塾最後のリーダー、25期岸田優(きしたゆたか)が、一人、ストーブ前で昇天しており、いつの時代もリーダーは大変なのだな、と、そして、塾生はいつだって、ちょっとだけ、ちょっとだけここで寝かせてスタイル、で昇天するのだな、と思う。

外に出ると、塾地は−15℃で、手に持っていた濡れタオルをぐるんぐるん回して、棒のように凍らせ、これこれ、と思う。

帰る車の窓からスタジオ棟を望んだら、阿波おどりの衣装をつけた人らが動いており、これから深夜の稽古らしかった。
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『谷っ記 塞翁が馬』
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ダンスレッスンをする皆を袖から垣間みる身長182cmの大男、17期の藤本道(ふじもとゆう)。

彼は、『谷』の稽古場が演劇工場に移ったその日に、セッセの(セッセとゆうのはまた今度説明するとして、と、前回も書いたけど、一体いつ?)稽古で、いきなり踵(かかと)らへんの骨を痛め、病院へ行くと、ヒビが入ってますから歩けるようになるまで3週間ですね、と松葉杖を渡され、以後、体育を見学してる子みたいになっている。

体を酷使するパフォーマンスの多い本演目において、俺のようになるなよ、とゆう暗黙の警告?、を、身をもって教えてくれた?、ので、ぼくらは必要以上に注意している。

彼は、在塾時代にも、旅公演に出る直前、作業中の事故で指を落としそこなう重傷を負い、公演に参加出来なかった過去もあり、今回も危うかったが、まだ稽古日数があるとゆうことで途中退場とはならず、首の皮一枚で踏ん張っている。

かつて、大リーグに移籍直後いきなり負傷してゲームに出られなくなってしまったヤンキース松井秀喜選手が、おとんから、「人間万事塞翁が馬」と、ゆう言葉をもらい切り抜けたらしい。

塞翁の馬が逃げた。
が、
北方のすばらしい馬を率いて戻って来た。
喜んでその馬に乗った息子は落馬して足を折った。
が、
そのために戦争へ行かずにすみ、長生きをした。

と、ゆう故事。

彼は、塞翁が馬とすることができるか。

冬だし、雪だし、滑るし、風邪とか、もろもろ、ぼくらも気を引き締めてゆこう。
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『帆立貝柱』
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先日、帯広のおばよりいただいた、北海名産「帆立貝柱」が、一袋450gの結構沢山入ったやつだったのに、噛むと帆立のダシ汁が口の中にいっぱいになるやつで、いったん食べ出すと止まらなくなる傾向があり、かなりのペースで減ってしまったので、最近は食べる量をセーブしてたのに、とうとう今夜、最後の一個になってしまった。

カムバック 帆立。
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『谷っ記 恒例のやつ』
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稽古場所が、塾地から富良野演劇工場へと移り、恒例の「皿洗いジャンケン」開幕。

初戦の大負けを飾ったのは、初参戦の12期羽立喬介(はだちきょうすけ)選手で、六人分の皿を洗った。

罰ゲームに見えるけれど、実は、洗えば洗うほど芝居が上手くなるとゆうあげまん(死語)的ジャンケンで、壁にぶち当たっている者はぜひとも負けぬいてこの期を利用して演技上達を図りたいところ、なのだが、しかし、そこは、時のウン、つい勝ってしまったりして、洗えず、悔しがったり残念がったりし、そんな中、見事負けぬいた者は、皆より羨望の眼差しを向けられ流し場へ向かう、が、実際ダメ出しまみれでジャンケンに負けた場合、泣きっ面に蜂、的気分になってしまうのも事実だ。

明日は誰だ。
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『マロースやるーす』
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告知ーす。

ラジオドラマを放送するーす。

作・演出●倉本聰『マロース』
放送日●12/12(土)
 時間●22:00~22:50
  局●NHK-FM

NHK-FMの周波数の詳細はコチラーす。
→http://www.nhk.or.jp/res/tvres5/h50303.htm

◆11日 20:00~20:43 NHK総合「プライムH」(道内のみ)
◆12日 8:00~8:43 NHKBShi「ハイビジョンふるさと発」
内で製作ドキュメントちうのもあるーす。

マロースとゆうのは、辞書ひけば出てくるんだけど、知らなくても大丈夫ーす。
ヒントは、ロシア語で、◯将軍す。
間違っても暴れん坊将軍ではないーす。
暴れ具合としては暴れん坊将軍も目じゃないーす。

中学ん時ラジオが好きでよく聴いたーす。
今はCGでなんでもできちゃうけど、ラジオドラマって結構ぶっ飛んだ設定とかでも描けちゃってすごいと思うーす。
聴く人の数だけ想像する世界があるってのもすごいーす。

と、ゆうわけでお耳、暇な方、たまにはラジオをどうーす?

すいーつ
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『谷っ記』
『谷は眠っていた』の稽古はじまる。

といっても告知では稽古は10日からだったのだけれど、とにかくはじまった、とゆうかよくある感じで4日から始まった。

1日目は、久しぶりだったこともあり、初めて塾へ向かう気持ちで塾地に入った。初めて来た時は寺岡さんのグレーメタリックのカリーナバンで、富良野の駅から同期の小林(旧姓)洋子と一緒に、今とは違う砂利の八幡ヶ丘の道を、そして、布礼別小中学校からの道もガタガタの道で、塾に入った。どこへ連れて行かれるんだろうとゆう不安をかき立てる為に、わざとそうゆうガタガタ道を通るとゆう演出だったことはあとに知った。それはいいとして稽古初日は、東京から久々に帰って来た者やら、いつもの面々やら、現役塾生やらとの対面があり、かたく、いささか牽制にも似た空気が富良野塾スタジオ棟にこもった。気がする。その空気の中、劇中のダンスやら、パフォーマンスやらの激しい動き。けど、その動きは再演とゆうこともあり、どこか懐かしく、動きと共によみがえる記憶があって、ああ、あったねこんな動き、あった、あった、とか、15年くらい前にそれを初めて教えてくれた人のこととか、リズムとか、初めて目の当たりにした時の、4月1日のエイプリルフールで先輩らにはめられたこと、その日は風邪で寝込んでいたのに強引にスタジオ棟に招集されたことなんかも思い出すのだった。とゆう感じであったので、その場にいながらも、その場よりも少しズレた所に気持ちがあって、ふわふわとした第1日目であった。

2日目は、風の日だった。春1番のような、冬1番のような風だった。塾へ向かう道にはたくさんの枝や、枝、または枝が、とにかくいっぱい風で折られて道にまかれていた。雪はなかったからよかったが、セッセの稽古中に、あ、セッセとゆうのはまた今度説明するとして、しないかもしんないけど、そんなことより、突然停電した。電気がなくっちゃ稽古出来ませんよ、と、心の中で純くんになってみた。窓からは少し欠けはじめた月が木ごしに見えていた。こおゆうハプニングで訪れたなんともならない時間をみんなで仕方なく待ってる感じは、ちょっと愉しい時間だった。

3日目は、午前がなかった。連夜の稽古で、猛烈に体の中に乳酸とかそおゆう疲労物質やらに占拠されて昼のサイレンが外で鳴っても布団から出られなかった。お母さんごめんなさい。塾までの道は30分足らずの車の移動で、でも、信号もなく、ほとんど対向車もなく、夜だし、セリフを暗唱するにはもってこいの空間だ。しかし、セリフにのめりこみ過ぎて、時おり、ちゃんと周りを見ながら運転して来てたっけ、と、あとで恐くなったりする。気をつけよう。10日からは塾地から、近場の演劇工場へと移る。今だけの貴重な車時間。3日目に入るとすでになんか慣れた空気が宿ってしまっていて、いかん、しめよう、と、4日目の今思う。たぶん、ダンスには出ないが、ダンスに参加していて、ダンスには体が中々ついていかないけど、出来ているとこと、出来ていないとこを、見極めて、焦らずぼちぼちいくことにする。

以下次号。

すいつ
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